20代はアパレルスタッフとして働いていました。「憧れのあの人みたいになりたい」そう思って雑誌やSNSを漁っていました。キラキラした世界に憧れて身も心も削った結果、残ったのは500着近い服と疲れた自分でした。
30歳になり結婚し事務職へと転職します。土日休みの週休二日制。溢れかえった服たちのほとんどは着なくなります。おしゃれしてお出かけすることなんて、月に数日あるだけですから。そこで「こんなに服いらないな」と初めて気付き断捨離を始めました。
断捨離を続けて4年ほどで50着ぐらいまで減らしました。単純に90%は手放したことになります。当時はミニマリストが多かった頃でSNSで検索しまくる日々でした。「スッキリしたけど何か違う」漠然とした違和感がありながら、それでも物理的に整った部屋は居心地がいいものでした。
今振り返るとあの時の違和感は「あの人みたいになりたい」という憧れの対象があったことです。今回はその当時のお話を書きました。
服には気持ちが映し出される
服って買った時の気持ちが反映されていると思います。私の場合だと「あのモデルさんになりたい」「ベテランスタッフにはこれが必要」という感じです。当時はこの気持ちは自分から出ている感情だと思っていました。でも断捨離して気づいたことは、他者の物差しで服を選んでいたということ。私の場合、本当に欲しい物ではなかったのです。
憧れになれなかった私。憧れになれると思ったあの頃の私。
500着のほとんどはそういう服たちでした。他者の物差しで買った服は、この感情に気付くとポイポイと手放せます。自分の執着をとっていくみたいに。こうして流行りや他人からのオシャレを削ぐ作業は、家族から見たら異様だったと思います。「欲しくて買ったんだよね…」驚く夫の顔を今でも覚えています笑。
「私は私。物差しはいつも自分」今ではこれがおまじないのようになっています。たまにネットで欲しくなりますが、2、3日買い物カゴに入れておくことができたのもおまじないが身についたおかげだと思っています。
手放した後の感想は虚しい
90%近くの服を手放した当時の私は、それは想像以上に清々しい気持ちでした。前述のように執着を手放し、ほぼ仏にもなれたような心持ち。「物欲はダメなもの。自分の直感を鍛えろ」行き過ぎた考えで、自分にも他人にも厳しかったと思います。
挙句の果てには、ミニマリストのYouTubeを見て「やっぱり物が少ないって素晴らしいんだ」と過剰に反応し、物欲まみれの夫を軽蔑しだします。だんだんと会話も減ってきます。また夫の物も勝手に捨てる時もありました。夫も薄々気づいていたと思いますが喧嘩もせずよく一緒にいてくれたなぁ、今となっては感謝です。
楽しみを共感できない自分ってなんだろう
ある日大きなショッピングセンターに出かけます。そこで気づいたことは「私はここで欲しいものが何一つとしてない」それは大きなショックでした。あんなに楽しかったお買い物をもう一生楽しめないのでは…。大きな資本主義から一人だけポイっと放り出された気持ちです。物欲はもちろん、楽しむ気持ちまでなくなった時期でした。
いいなぁ…憧れは手放してもなくならない
当時はコロナ禍でもあったので家で過ごす日々。そんな私と過ごす夫は少しずつ影響されたのか、今まで手の付けていなかった断捨離にも参加してくれるようになりました。
しかし私が極端にしていた私は、色々断捨離していると急に面白くなくなってきました。なんか、ミニマリストに飽きちゃったんですよね。
物欲は悪、という執着があったかも
20代は物欲に依存していて、その反面、急になくなったんですよね。荒治療だったかもしれません。だからか逆の執着があったことにも気づけました。「あぁそうか。私はあのミニマリストみたいになりたかったんだ」物はなくなっても他者への憧れはまだ残っていました。
自分の正解を探し出す
ミニマリストへの憧れを自覚した頃、夫の転勤で大阪から長野へ引っ越すことになります。私たち夫婦は兵庫県出身で、東日本に住んだことがありません。また頼れる親族も友人も近くにいないため、転勤は反対でした。しかし、物件探しで長野へ行った時に転勤への気持ちは180度変わります。「長野、住んでみたいかも」
住む場所が変わると環境が変わり、着たい服も変わります。50着まで減らした服をもう一度増やすことは抵抗がありました。「ここまで減らしたのに、またあの時の私に戻るかも」躊躇していたんですね。しかしそうは言っても、長野は寒いので冬服が全然足りません。また転職もしたので新しい服も必要だったので、渋々増やしていきました。
50着が60になり、とうとう80着になりました。数は増えクローゼットはパンパンだけど、長野での暮らしはとても居心地が良かったです。
今の私にはこれがちょうどいい
少しずつ自分の適量を探していきました。不思議なもので、ミニマリストに憧れていた頃の服は着なくなり、あまり着る機会が少なかったベーシックな服を長野では着るようになりました。「この服って意外といいかも」新しい一面を知りました。きっとそれは、自分の新しい一面を知ったからだと思います。
今でも思い出す一着
500着あった服をほとんど手放して、後悔はなかったのか。大阪時代によく聞かれました。当時の私は強がって「全然ないよ」と言っていました。その時は本当にそう思っていたからです。
しかし長野で暮らして兵庫に戻ってきた今は、生き方の価値観が変わったからか思い出す一着の服があります。それは、スティーブンアランの黒のロングジレ。足元まであるロング丈でボタンで開閉でき、腰にベルトがありました。シンプルなデザインだけど他と被らない印象的なジレ。
「あの服があれば着たいなぁ」この5年で何度も思い返しますが、思い返すだけで実際に探したり似た服を買うことはありません。本当にただ、思い出すだけ。
あの一着は、その頃の私だった
自分の好み:他人からの見られ方が50:50。今の私の選び方はそんな感じです。どちらがいいとか、どちらがダメとかではありません。半分ずつ。でも他人からどう見られても私は私。きっとそんな服を昔の私も知らぬうちに手にしていたようです。
500着の服を手放して残ったのは少ない服ではありませんでした。「私は私でいい」と思える感覚でした。だから今でも思い出す黒のジレは服そのものではなく、自分らしく生き始めた頃の私を思い出させてくれる一着なのかもしれません。